写真は、にしあにが産まれた頃の横浜。
【シリーズ・にしあにの少年期】
これは、品川で一番小さいデザイン事務所を営む社長のプロフィール日記……自分の記憶だけを頼りに綴るドキュメンタリーです。
なので時々時代考証等がおかしい場合があるかも知れませんが、何卒ご容赦いただきながら、「あははははは、こいつ、バカで~(笑)」なんっつって読んで笑っていただけますれば幸いです。
・・・・・・・・・・・・・・・
[シリーズ・にしあにの少年期]
♣第0話「プロローグ」
ふと、「日常を綴るだけの日記にちょいと飽きてきたので、覚えている記憶の初めから社会人になるまでのエピソードをかいつまんで綴ってみたら面白いかも!」と、ろくでもないことを閃いたにしあに(決して〝ボケ防止〟というわけではない)。
芸能人でも著名人でも有名人でも、人気者でさえない50歳のときにヤモメになっちまった「にしあに」という生き物の生い立ちだよ。思い出し思い出し書いてる本人は楽しいかも知れないけど、読むヒトは「……なんじゃこりゃ? 凡人の伝記なんざ面白くもなんともねぇよ! ばかなの?」と感じるだろうな……という声がどこからともなく聞こえてきたとき、「んふふふん、精々面白い読み物にしてやろうじゃねぇか! オイラを含めて多くの人間は凡人なんだよ。でも、みんなひとりひとり自身の人生の〝主人公〟なんだかんね。つまらなかったら読まなきゃいいじゃねぇか。」と反論したら、「おおう、上等じゃねぇか。万が一面白かったら、読んでやるよ!」だってやがんの。「け、おめぇの「お見それしました」って言葉を聞くのが楽しみだぜぇ」……にしあに、ココロの中でひとり、首を振って落語する……。
というわけで、これから始まる不定期連載[シリーズ・にしあにの少年期]。
にしあにの一番古い記憶は一歳になるかならないかのとき。
ど~ゆ~お話しになるんだか……。
……つづく
*****
♣第1話「少年未満のにしあに・幼少編」
「今年は東京オリンピックだ~ん!」っつって、日本中がワクワクしていた年の1964年3月29日。鶴見の東芝病院で生まれたにしあにさん。両親は見合い結婚した東芝の職工・照久と京三電機のBG・利惠子。
便所も台所も共同の鶴見・本町通りの東芝の家族寮、通称〝ションベン長屋〟は、ふすまを開けたら隣ん家……「みんな家族」のような楽しい環境に加わった赤ちゃんだったにしあにだったのでした。
一歳になるかならないかのとき、40歳代で「おばあちゃん」になってしまった祖母の背に負ぶさってションベン長屋の木戸を出て、近所のお稲荷さんの様なところに行って備え付けの和太鼓を「トントントン♪」と叩いたのが、私の一番古い記憶です。
「あ~うう~あ~~(叩かせろ!)」っつって、おばあちゃんにせがんだんだよね。
小学校に上がった頃、その事をおばあちゃんに言ったら「……! アンタ、そんなこと覚えてるの? そうそう、赤ん坊のくせに気持ちよさそうに叩いてたんだよぉ(笑)」と驚かれたので、事実なのでしょう。
……つづく
♣第2話「にしあに、団地ッ子になる」
二歳になって間もなく、鶴見のションベン長屋から当時サラリーマン核家族の間で流行っていた「団地」に越してきました。横浜市の端っこ、戸塚区に新しく42棟が出来上がったばかりの〝横浜市営上飯田団地〟。ニシヤマ家は20棟の107号室。
団地地域の真ん中に出来た小学校の向かいの棟だったので、母親は喜んだようでした。「あっくん(幼い頃のにしあにの通称)、まだ二歳だけど、いつの日か授業参観に行くときに、楽ちんだねぇ(笑)」って。女性はいつの世も〝細かい事だろうが大きなことだろうが、先々が楽ちん〟という境遇が大好きです。父はそんな母を心から愛していました。
団地サイズの2DKは狭いっちゃ~狭いけど、六畳一間のションベン長屋に比べれば夢のように広いし、なんつったって文化的なんだかんね! 屋上にテレビのアンテナだって着けられるし、風呂があって水洗便所があるんだぜぇ!! と、大喜びだった昭和40年代初めの若夫婦だったのでした。
それにしても、この子は弱っちいねぇ。そもそも未熟児で生まれてきたし(新生児のにしあには2200グラムだった)、バブバブ言ってる赤ん坊のくせにいっちょまえにトラホームになってやんの(にしあには目の粘膜が弱かったため、庶民には高価なヤツメウナギのお手製離乳食をちょいちょい与えられていたらしい……ものごころがついてから初めてうなぎを食べたのは……ず~っとあと・笑)。んまぁ、取り立てて莫迦ってわけじゃないみたいだから、しょ~がねぇやね……オレに顔つきが似てるから……許す(笑)。
言葉が判らないと思って言いたい放題の父とニコニコしながらその言葉を聞いている母……父は独身時代、日活にスカウトされたというのが自慢だった(今の私よりずっとハンサムなんだよな……)。ともあれ昨今流行の〝不倫〟には無縁なまま夫婦仲良く暮らしているうちに、その「決して莫迦ではないけど弱っちい」長男坊が幼稚園に通う年齢になりました。
……つづく
写真は、トッポジージョのお弁当箱。
[シリーズ・にしあにの少年期・幼稚園年少編]
♣第3話「幼稚園は粘土の匂い」
1968(昭和43)年、四歳になったばかりの春、近隣にあったふたつの幼稚園から「スクールバスに乗りたい」という理由(私がそう言ったと母が言っていた)で善隣館幼稚園を選んで入園しました(当時の幼稚園は2年保育がポピュラーだった)。
にしあには〝すみれ組〟。
たくさんの子ども達と一緒に初めて園内に入ったとき思ったことは「……なんだ? この匂いは……」でした。
幼稚園のお昼ご飯はお弁当か、園内に入っている業者さんから購入するパンと飲み物でした。
私はまったくもーってくらい好き嫌いが多い子どもだったので、母が持たせてくれるお弁当はいつも、下からご飯、海苔、ご飯、玉子焼きを重ねただけのはなはだ栄養バランスの悪い。けれども毎日食べても飽きないものをトッポジージョのお弁当箱に詰めてくれたものでした(トムとジェリー、ミッキーマウス、マイティマウス、トッポジージョ……外人の子どもはネズミが好きなんだな。と思っていた)。
時々お金を持たされて購入するお昼の好物は焼きそばパンとフルーツ牛乳。
思えばこの頃から〝毎日ずっと同じものを食うことに抵抗感がない〟性格が作られたのかも知れません。
入園して一週間が過ぎた頃、「ああ、あのへんてこりんな匂いの正体は……ねずみ色をした粘土だったんだ……」ということに気付いた四歳児のにしあにだったのでした。
……つづく
♣第4話「バナナのハモニカ」
当時の善隣館幼稚園は、仏教系なくせに(関係ないか・笑)たしなみとして(多分)園児にハモニカの演奏を推奨していました。
団地の隣の部屋に住んでいた仲良しで同級のオオトモマサミちゃんのお母さんは教室を開いて近所の子ども達に教えていたピアノの先生で、彼女は物心が付いた頃からピアノを習っていました。
怒鳴り声等のうるさい声をとても嫌っていた、痩せたケネディみたいなお父さんと穏和になった金井克子みたいなお母さんとの間に産まれたマミちゃん(にしあにには、自分の親とあまりにかけ離れた見た目の彼女の両親が〝サンダーバード〟の登場人物のように見えた)は、もしかしたら絶対音感を持っていたのかもしません。
瓜実顔でスッとした切れ長の目で、端整な顔立ちをしたマミちゃんは、オタマジャクシを『だるまちゃんシリーズ』の絵本よりよどみなく読めるうえ、バレエも習っている美しい少女でした。
なんつ~か、英才教育を受けていたらしいマミちゃんに音楽やバレエのことを手取り足取り教わっていたにしあには、自然に音楽好きになっていきました。
クラスのみんなが出入りの業者からおそろいのハモニカを買い与えられている中、ただひとり妙にリアルなバナナのカタチのハモニカを持たされたお陰で、からかわれたり羨ましがられたりど~かすっと憎まれたりした園児にしあに。
カイシャの帰りに横浜の街で〝バナナのハモニカ(決してオモチャではなく、中身はちゃんとしたハモニカ)〟を買って来た父親のセンスに、感心するやら戸惑うやら……今思うと〝戸惑い〟と〝優越感〟と〝してやったり感〟と〝妙に目立ってしまう背徳感〟を初めて体験した年少さんだったのでした。
……つづく
♣第5話「ブタコレラって、なに?」
幼稚園が終了すると、一台しかないスクールバスに乗る順番を待つ間、先生が紙芝居を観せてくれました。
人気があったのは「だいこんとにんじんとごぼう」と「せきりきん」というタイトル。私はなぜか「かさじぞう」が好きでした。
幼稚園とはいえ、いろんなタイプの人間が集まっているコミュニティです。
「え~~!? 「ないたあかおに」なんかつまんないよ~!」とか、「センセ~、毎日「せきりきん」にして~!」とか、勝手なことを言う自分勝手な子どもも少なからず存在しました。
顔をゆがめて自分本位な自己主張を言うガキが大嫌いだった、引っ込み思案でオトナの顔色を観察することに凝っていたやせっぽちのにしあに。
「……せきりきんせきりきんって、うるっせぇな。おめえだけのための紙芝居じゃねぇんだよ。青っぱな垂らしやがって……こいつ、ブタコレラみてえな野郎だ(ブタコレラがなんなのかは知らない)……」
と、心の中で毒づく年少・すみれ組の偏食児童だったのでした。
……つづく
♣第6話「軟弱なマセガキ」
「花の首飾り」「エメラルドの伝説」「あの時君は若かった」……グループサウンズとサイケデリックなファッションが大流行していた昭和44(1968)年。
にしあにはキング・トーンズの「グッド・ナイト・ベイビー」が大好きでした。
小学校に上がるまでなぜか男の子の友達がひとりもいなかったため、幼稚園から帰るといつも隣のマミちゃん家に行ってお絵描きをしたり彼女のピアノを聴いたりして過ごしていた年少さんのにしあに。
「あのさ、グッド・ナイト・ベイビーを弾いてくれない?」とリクエストしたら、「……ん~……嫌!」と少し怒った顔で言われて、生まれて初めてちょっとだけココロが傷ついたものでした。
当時は「ああ、女の子にとってキング・トーンズは怖いオトナ(まだ不良という言葉を知らなかった)なのかなぁ……」と思って、つっかえつっかえ弾くショパンをおとなしく聴いていたのですが、今考えてみるとキング・トーンズを知っている。ましてや〝ファン〟な四歳児はそれほど多くなかったのかも知れない……(^^)。
変なことを言ったお詫びにクレヨンと画用紙を出してきて、マミちゃんとマミちゃんが当時飼っていた犬(狆)の〝チンク〟の絵を描いてあげて機嫌をとった(すげ~喜んでた)静かなお調子者な、不良とは程遠い子どものにしあにだったのでした。
……つづく
♣第7話「オンナだらけの幼稚園児」
当時のにしあにには隣のマミちゃんの他にもうひとりお友達がいました。
同じ階段の五階に住んでいたワダエミコちゃん。
彼女はひとつ上の年長さんで、瓜実顔の日本人形のようなマミちゃんと違って当時「少女フレンド」に連載していた今村洋子作「レモンとうめぼし」の主人公のようなお目々ぱっちりの美少女でした。
今日は一階のマミちゃん家でピアノとお絵描き。明くる日は五階のエミちゃん家でおままごととお絵描き……どっちにしろお絵描きは欠かさない(^^)……ひとりの時は自宅で300枚くらいあった父親の歌謡曲レコードコレクションから好きなものを選んで聴きながらお絵描きを楽しむ幼児……。
よくかけていた曲は「傷だらけの人生」(鶴田浩二)「愛して愛して愛しちゃったのよ」(和田弘とマヒナスターズ&田代美代子)「逢いたくて逢いたくて」(園まり……B面の植木等とのデュエット曲「あんたなんか」も好きだった)「東京音頭」(ソノシート ^^)……。
まだ天知真理がブレイクする前、私にとっての〝まりちゃん〟は、園まりさんだったのでした(笑)。
……つづく
[シリーズ・にしあにの少年期・幼稚園年長編]
♣第8話「友達少ない男の子」
ともあれ、男の子の友達ができないまま春を迎え、年長さんになったにしあには〝ひなげし組〟になりました。桜のカタチの名札の色が水色から赤に変わっただけで、なぜか偉くなったような気持ちがしたにしあにでした。
とはいえ、幼稚園は幼稚園。周りの男児は得体の知れない動物っぽい子どもだらけで、相変わらずハナタレ小僧がやいやい言っている世界なので、この威張りくさっている野郎は何故緑色の鼻水を垂らしているのだ? ど~やったら着色が出来るんだろう……なんて不思議に感じつつ、なんとなく遠くから眺めていました。
幼稚園児はオトナ達から観たら十把一絡げの「猿山に等しいガキども」にすぎないかも知れません。うん、当たらずとも遠からず。でも五歳児とは言え、ここは立派なコミュニティ……「社会」です。
男児は男児の中で、女児は女児の中で、背の大きい子、小さい子、君臨するためにリーダーになりたい子(私が嫌いなタイプ)、腰巾着のような子、無闇に粗暴な子、無闇にビビリな子、クニャクニャしていて誰に対してもやさしい子、普段威張り腐っているくせに予防接種の時に泣いて嫌がって先生に引きずられていく無様な子、みんなで使うものを独占したがる子、気の弱い子を見極める能力に長けていてその子を子分のように扱う子、自分を良く見せようとして嘘に嘘を重ねてにっちもさっちも行かなくなる子、お絵描きでもお遊戯でも少しでもうまくいかないとヒステリックになって他の子の所為にする子……そして、そんな子ども達を観察して面白がる子(この綴りの主人公)……そんな主人公のことが好きな子、嫌いな子……。
今になって思うと、当時の私に同性の友達がいなかったのはこんな質の主人公だったからなのかも知れません……今思うと、ど~見ても嫌ったらしい奴だもの……森進一の「港町ブルース」やいしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」やピンキーとキラーズの「恋の季節」や皆川おさむの「黒猫のタンゴ」や森山良子の「禁じられた恋」や内山田洋とクール・ファイブの「長崎は今日も雨だった」や青江美奈の「池袋の夜」やカルメン・マキの「時には母のない子のように」やザ・キング・トーンズの「グッド・ナイト・ベイビー」やはしだのりひことシューベルツの「風」が流行っていたこの年、お気に入りの曲は由紀さおりの「夜明けのスキャット」でした……んふ~、なんて美しい歌手なんだろう。と思っていた五歳児(^^;)。
……つづく
♣第9話「三人目も女の子」
年長さんになっても相変わらず女の子の友達しかいなかったにしあに。
新しくできた友達は、やはり同じ階段の四階に住んでいたアリトウノリコちゃんで、ひとつ年下の丸顔の可愛らしい顔をしたしっかり者の子でした。
ムキ立てのゆで卵のように色白で可愛らしいノリコちゃん……〝ノリタマ〟と呼んでいた、ちっちゃくて面倒見が良くてなんでもそつなくこなす「さるとびエッちゃん」に似た彼女は、私がなにか困っているといつの間にかささっとやって来て処置してくれる(怪我した時にバンドエイドを貼ってくれたりとか)、ふしぎなふしぎな口数の少ない女の子でした。
ノリタマとは主に屋外で遊びました。
私が外に出て歩き始めるとなぜかいつの間にかそばにいて、一緒に団地内の児童公園や〝秘密基地〟で遊んでいるのでした。
ある日、連れだって秘密基地に向かう途中の森で栗のいがを掴んでしまったにしあに。右手の平一杯にイガが刺さってしまったとき、呆然とする私に「あらららら、大丈夫。痛くない痛くない(^^)」と、優しく声をかけながら一本一本抜いてくれたノリタマ……「おりゃこいつがなにか困ってたら、なんでもしてあげよう……」と思ったものでした。
年長さんになってからは、幼稚園では人間観察。帰ってきてからは一階と四階と五階の女の子三人と代わる代わる遊んだり、ひとりでレコードをかけながらお絵描きをして過ごす。という、とても狭い世界でいろんな事を考えながら日々を過ごす、友達が三人しかいない……でもって相変わらず食べ物の好き嫌いが多い幼稚園児ライフを満喫していたにしあにだったのでした。
……つづく
♣第10話「はじめてのお泊まり」
「第9話」まで読み返してみたら、幼児のクセになんだかすげ~鼻持ちならない嫌な性格な上、なんだかプレイボーイみたいだな……と感じました(なんとなくわざとそ~ゆ~ふ~に書いたんだけど・笑)。好感度ダダ下がりになるかも……あ、そもそも好感度高くないか……ま、いっか……後々ひどい目に遭ったりするし(^^;)
気を取り直して……善隣館幼稚園は仏教系の幼稚園だったので、年長さんになると簡単な漢字を教えてくれたり(画数の多い「様」という漢字が建物の絵に見えたにしあに)、園長先生のありがたい言葉(よく解らなかった)を訓示されたりしました。
そんな中、「みんなでお寺に一泊するんだもんね(正式な名称は忘れた)」という行事がありました。
親元を離れてひとりでどこかにお泊まりするのは生まれて初めてのことです。
お母さんが用意してくれた新しいパンツを履いて、ドキドキしながらいつもの送迎用のちっちゃいバスじゃない、大きな観光バスに乗って出かけました。
お寺に着くと、年長さん全員で境内の掃き掃除と本堂のぞうきん掛けをしたあと、なんか住職の話を聴いて(やっぱりよく解らなかった)、精進料理の夕食をいただいたあと(好き嫌いの多いにしあにはご飯だけ食べた)、とても広い板の間にみんなで布団を敷いて……ちっちゃい子どもの修学旅行。
翌朝は五時半に起床。
問題はここから始まりました……ウンコが出来ない!!
……次回はちょいと尾籠(びろう)なお話です(^^;)。
……つづく
♣第11話「にしあに、母をリスペクトする」
100人近くいる園児の朝です。でも、トイレ(厠と書いてあった)の「大きい方」の数は五つ。必然的に行列になりました。
行列になっても、順番が回ってくれば大丈夫……ならいいんです。
当時(もしかしたら今も)、「幼稚園のトイレでウンコをする」ということがとても恥ずかしい行為という風に認識していた私を含めた園児達。一旦「大」の個室に入ったは良いのですが、立て付けの悪い隙間だらけのドアの向こうから沢山の男子児童の目と「おおっ、あいつ、ウンコするぞ~(笑)」という囃し声……他の園児に倣って、とうとう無理矢理肛門を引き締めてオシッコだけを済ませて扉を開けて出ていったにしあにだったのでした……んもう、ホント、男の子って嫌っ!
帰りのバスの中、もそもそと身をよじりながら便意に耐えるにしあに。
バスを降りて「センセエさよ~なら♪」の行事を済ませて、内股でモジョモジョと歩きながら20棟の我が家を目指すにしあに。
23棟、22棟、21棟……もうちょっとで着くのよぉ……ガンバレあっくん!!……というとき、「んふふふふ~ん♪」と、例えようもない開放感が襲いかかったのでした。
「……あ、やっちまった……パンツ新しいのに……」と思った途端、溢れる涙(なんか、負けた気がしたのを覚えている)。
んもう、内股で歩く必要はないんだかんね。と思い、涙でぼやける白い壁の〝20〟のタイル文字を見ながらブリキ細工のロボットのように歩いて帰宅しました。
新しいパンツを汚してしまい、てっきり怒られると思っていた(オサナゴコロに死を覚悟していた・笑;)のに、「あはははははは~! あっくん、ウンコ漏らしちゃったんだね~。あ! そっか、今までずっと我慢してたんだ。 あ~、はいはいはい、頑張ったね~。偉い偉い!(笑)」と、何故か褒めてくれたお母さん……。
……ありゃ? なにも言っていないのに、なんで解ったんだろう……!?
生まれて初めて母親を尊敬した、年長さんのにしあにだったのでした。
……ともあれ、隣のマミちゃんにばれなくて好かった……って思ったっけ……。
……つづく
[シリーズ・にしあにの少年期・小学一年生編01]
♣第12話「いつになったら男の子は〝ヒト〟になるのだ?」
少年にしあには、とうとう男の子の友達がひとりもできないまま、昭和45(1970)年の春、半ズボンのスーツを着て、団地の真ん中にあった橫浜市立上飯田小学校に入学しました。入学式の日、美容院に行って髪をアップに整えて、お化粧をして、一張羅のスーツを着たお母さんが別の人の様で面白かった……。
一緒に入学した子ども達は、私と同じ善隣館幼稚園に行っていた子と、近所にもうひとつだけあった明正幼稚園の子。上飯田団地の10号棟の一階にあった保育園にいた子。そしてフリーの子(幼稚園は義務教育じゃないからね)。思いがけず児童の数が多かったらしく、4クラス(1クラス45人)ある一年生はプレハブ校舎でのスタートでした。にしあには1年4組。
小学生になると、幼児から児童になります。
とは言え、所詮昨日まで幼稚園児だった子どもです。初めて見る目新しい子ども達の顔を眺めながら期待と不安を綯い交ぜにしてドキドキする新一年生のにしあに。
ハナタレ、クソガキ、いばりん坊……やっぱ、この年頃は男の子より女の子の方がどことなく大人びているんだな……と感じました。
人生初の担任の先生の名前はアライミスズ先生……若くて色白でチャーミングだけど、どこか神経質そうな先生でした。
意味が解らない奇声を上げたり、オシッコ漏らして泣き叫んだり(「尾籠なのはやっぱいかんな」と思った・笑;)、なぜか机と机の間に寝ころんでモジョモジョしている男子児童を眺めながら、「ほえ~……なんだ!? こいつ……傍から見たらおりゃ、こいつらと同じなのかなぁ……」と思って、ほんの少し途方に暮れた新一年生のにしあにだったのでした。
……つづく
♣第13話「入学=〝パパ〟〝ママ〟卒業」
入学式の夜、ちょっとした事件がありました。
平素残業や出張が多く、起きると居ない。寝てから帰る……私が起きている時間にはなかなか会えない父が珍しく八時前に帰宅。
「……ほえ~、パパだ。珍しいなぁ……でもちょっと嬉しい……」と思って「お帰りなさ~い♪」と久しぶりの台詞を口にしたにしあに。
「おう、起きてたか。ヒサアキ、ちょっとそこに座れ」
!? 怒られるのか? とビビるにしあに(にしあにの親父はハンサムだけど顔が怖かった)。
「お前は今日から小学生だな」
「うん」さぁ、ど~来る!? とあれこれ心当たりを思い巡らせつつ身構えるにしあに。
「お前、今日から〝パパ〟〝ママ〟って呼ぶの止めて〝お父さん〟〝お母さん〟と呼びなさい」
「ほえ? 恥ずかしいの?」〝心当たり〟がことごとく外れてずっこけるにしあに……初めにあれこれ白状しなくて良かった……。
「ばか! 俺じゃなくてお前が恥ずかしいんだよ!」
「……ふ~ん……そっか……わかった」察しがいいガキ。
「バカ野郎! そ~ゆ~ときは「わかりました」と言うのだ!!」目が笑っている父。
「わかりましたっ!」面白がるにしあに(久しぶりに父と話せて嬉しかった)。
というわけで、小学校入学式の翌日の朝、「お父さん、お母さん、お早うございます」という台詞をよどみなく発したにしあにだったのでした。
……つづく
♣第14話「ちょっとした秘密」
にしあにが小学一年生になった昭和45(1970)年は3月15日から9月13日まで「日本万国博覧会」が開催されて、老いも若きも日本中が〝万博フィーバー〟に湧いていました。
……当時のにしあににとって大阪は外国に等しい「遠いところ」だったので、テレビの中の出来事という認識だったけど。
ある日、(株)東芝(当時は東京芝浦電気(株))の社員だった父が全パビリオンの写真シール(それぞれ2.5×3センチくらい)をカイシャからもらってきてくれました。
「これ、いいだろ~。好きなのを好きなところに貼ったらいいぞ。でも、お母さんに怒られるところには貼るなよ!」って……。
「うん。ありがとう!」と笑顔で応えて、迷わず〝東芝館〟のシールを当時アヒルのCMで流行っていたクラリーノのランドセルの一番目立つところに貼り付けたにしあに……。
「お? お前、嬉しい事してくれるじゃねぇか! おい利惠子(母)、ビール開けろや(笑)」満面の笑みを浮かべるお父さん。
「ホントは〝太陽の塔〟か〝スイス館〟の方がカッケ~んだけど、お父さんを傷つけちゃいけねぇ……と言うよりか、きっと嬉しがるからさ……」と思っていたことは、2012年に親父が亡くなるまでずっと内緒にしていました(^^;)。
……当時はごく自然に反応したうえでの行動だったのですが、今思うとなんともこまっしゃくれたスカしたガキだった小一の春……ついうっかり思ったことを口に出して失敗することがままある今のにしあにに爪の垢を煎じて……いや、あん時の方がずっとオトナっぽいかも……。
……つづく
[シリーズ・にしあにの少年期・小学一年生編02]
♣第15話「お気に入りのアトムのコップ」
万博の年の一月、プロ野球の〝産経〟が〝ヤクルト〟に買収されて「ヤクルトアトムズ」が誕生しました。
その事が影響しているのかどうかは分かりませんが、母がヤクルトの配達を契約しました(なんせ父は大の巨人ファン……なので、3ヶ月後には他社のローリーやエルビーを交互に取っていた。私はスッキリした味のローリーが好きだった・笑)。
契約時にもらったアトムとウランちゃんがプリントされていたお気に入りのコップは、私が21歳で家を出るまで「歯磨き用のコップ」として現役でした(まだ実家にあるかも知れない……)。
当時、保健の先生の指導や教育テレビや歯磨き粉のCMでは「歯は掃き出す様に縦に磨来ましょう」と指導していました。その気になってワシワシと磨いていたら歯茎が腫れてしまったにしあに……今は歯ブラシを逆手に持って一本ずつ横に磨けみたいなことを言ってるよね~。で、あの頃から今まで、「歯磨き指導」はコロコロ変化しています。
今は三ヶ月に一度歯医者さんに行ってオーラルケアを欠かさないオトナになりましたが、当時はお陰で(嘘です。駄菓子が好きで歯磨きが嫌いだっただけです)二年後には虫歯だらけになってしまったにしあにだったのでした。
……つづく
♣第16話「一年生は女子と犬が好き」
この頃、鶴見の家族寮(長屋)に住んでいた祖母達とお隣に住んでいた祖母の親友のツノダ家が隣町の下飯田町にこれまたお隣同士に家を建てて引っ越してきました(ツノダ家は、親戚同様のお付き合いでした)。
父は自称天涯孤独(めんどくさいので細かい事は今は書かないけど、中学を出るまで保土ヶ谷の孤児院にいて「矢吹ジョー」の様な少年期を過ごしたらしい)なため、父方には所謂親戚付き合いは無かったのですが、母は五人兄弟の長女だったので私には二人ずつの叔父と叔母がいます。
下飯田の家は、母のすぐ下の弟(長男)の叔父さん(見事な油絵を描く、登山が趣味のハンサム……私は〝山おじさん〟と呼んでいた)が建てた二階建ての立派なお家でした。
上飯田団地からは一本道なので道に迷うことはありません。当時父が初めて買ったマイカーの中古の赤いサニー1000で行けばあっという間に着くけど、子どもの足で歩くと二時間近くかかる距離……なのにお祖母ちゃん子だったにしあには、ちょいちょい歩いて遊びに行っていたものでした。
目的はちょっと年上の隣のツノダさん家の姉妹(後にまったくもーってくらいお世話になる)と飼い犬の〝ベル(シェパードのハーフ・♀)〟。
月に二度くらい、気が優しくて美人だったツノダ姉妹とおとなしい気質のベル(一度よろけてゲタでシッポを踏んで吠えられちゃったけど……謝って許してもらった)に逢いに行って、そのまま広い〝おばあちゃん家〟にお泊まりするのが楽しみでした。
……友達は女の子と雌犬だけ……周りに年の近い同性の存在がない少年だったにしあには、けっこう毎日ゴキゲンで生きていました。
……つづく
♣第17話「自転車が来た!」
珍しく私が起きている時間に帰ってきた父が、開口一番、なぜかゴキゲンな様子で、
「おい、ひさ~き(父は生涯私のことをカタカナでなく、ひらがなのイメージでこう呼んでいた。)、自転車欲しくないか? 乗ってるヤツもいるだろ?」
と言ってきました。
「え? うん。欲しいよ。どしたん?」平素〝おねだり〟をしないタイプの現実的な児童だったにしあに。
「買ってやるぞ」
「ええっ!? いつ?」
「明日」
「……明日……」
「届くから」
「わ~♪」
内心、そ~ゆ~ときは「買ってやる。じゃなくて買ってやったぞ」というのが正しい日本語だ……と、こまっしゃくれたことを思っていたことはここだけの話だ(^^;)。
翌日の土曜日。
半ドン(上飯田小学校はチャイムなので〝ドン〟と鳴ったことはないけど)の学校から帰ってきたら、玄関の中にピカピカの自転車がありました。
「ほえ~」とココロの中で呟きつつ、ドキドキしながら取りあえずサドルを撫でてみた、こまっしゃくれてはいるけど嬉しいことは嬉しいハナタレ(垂れてないけど)一年坊主のにしあにだったのでした。
……つづく
[シリーズ・にしあにの少年期・小学一年生編03]
♣第18話「ぐるぐるぐるぐる……」
まだ、いわゆる〝ミニサイクル(今で言うママチャリ)〟が登場する前の〝サドルの上げ下げはレンチがないと出来ないんだかんねタイプの自転車〟は、とても金属っぽくてなんだかセクシーでした。
生まれてから一度も自転車に乗ったことがないにしあに。差しあたり玄関の中でスタンドをかけたままサドルに腰掛けて、ペダルを踏み込んでみました。
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる……脳中で団地の中の風景がすっ飛んでいきます……ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる……んひゃ~、おもしれ~……ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる……。
「あっくん!! いい加減にご飯食べなさい!!!」と、母親に怒鳴られた時にはとっぷり日が暮れていました。そういや、腹が、減った……(昭和のプチ井之頭五郎)。
夢中になると時を忘れる質(たち)の小学一年生……今考えると、〝なんちゃってエアロバイク〟を約5時間延々と続けていた少年にしあにだったのでした。当時の児童はなんつ~か、タフだねぇ(^^)。
……つづく
♣第19話「うるさいの嫌い」
翌日の日曜日、自転車を玄関から出して……〝にしあに自転車デビュー〟の日を迎えました。
補助輪が着いているので、ひっくり返る心配はありません。
「うしっ!」つって、勢いよくペダルを踏みこんだ「人生初めの一歩」……右足の裏の感触は、今でもはっきりと覚えています。
ンガ~~~~~~~ガガガガ~ッ! という、補助輪が地面に擦れる音と、駆け足で走っている時よりも明らかに早く流れていく景色……。
「ひゃ~、気持ちい~!」
ゴキゲンだった2分後。
「……でも、なんかうるせ~!!」
補助輪にはチューブが入っていないため、摩擦音が大きいことに気付いてなんとなく不機嫌になった幼児から児童になったばかりにしあにだったのでした。
〝自転車の話題〟に飽きたので、補助輪なしで自転車に乗れるようになったときのお話は、また後ほど綴ります。
……つづく
♣第20話「遠足のお弁当」
小学生になって初めての遠足は野毛山動物園でした。
幼稚園の時は二年間ずっと、トッポジージョのお弁当箱に下からご飯、海苔、醤油をぐるっとかけて、ご飯、玉子焼きを重ねたものだったにしあに……一度だけ、母親の気まぐれ……いや、栄養バランスに不安を持った……いやいや、きっと同じものばっかり作るのに飽きたんだな(本人に確認済み・笑)……で、グリーンピースの炊き込みご飯を持たされて、蓋を開けて「こんな臭い物は食えない……」と二秒で閉じてそのまま持ち帰ったことがある可愛げのかけらもない幼児だった(「あはははは~、やっぱダメか。これ、美味しくないよね~。あっくん、臭いの嫌いだし……お腹空いたでしょ~! あはははははは♪」っつって笑っていた母)。
この日はお弁当に、珍しくおにぎりを持たせてくれました。
塩じゃなくて醤油をまぶすのがニシヤマ家流。具なし、海苔付き。
おかずは玉子焼きだったので、今考えると幼稚園時のお弁当の〝トッポジージョ抜き〟だね(笑)。
動物園の門をくぐった時の感想は「……ケモノ臭えな……」だったんだけど、眠っているライオンを愛おしく思い、キリンと象の大きさに恐れをなし、ずっと見ていた猿山の社会的営みに感動して臭いになれてきた頃、お弁当の時間になりました。
自然、他の児童のお弁当に目が行きます。
私のおにぎりは白い部分(醤油だからちょっと茶色いけど)が見える、「おにぎりの絵を描け」と言われて誰もが描いてみせるタイプのご飯と海苔のバランスのおにぎりでした。
でも、隣にいたなぜか終始無言の男子児童のおにぎりを見てみると、なんと真っ黒けでした。
「……うわ、海苔だらけだ! 隙が無くて、なんか贅沢っぽくてカッケー!! あ、赤いウインナーがタコさんになってる!!!」
惹かれてつい食べている口元をじっと観察していたら、なんと中から鮭が出てきたのでした(偏食のにしあには鮭さえ食べたことがなかった。ちなみにこの日から赤いウインナーが好物になった〝影響を受けやすい単細胞男児〟にしあに少年)。
彼の名はイノウエタカシくん。
平素女の子の顔しか観ていなかった(当時は汚くて、野蛮で、うるさくて、つまらない男子を視界に入れない癖が染みついていた)にしあにが、「なんかどっかで観たことあるぞ」と、よ~く顔を観たら、イノウエタカシくんは同じ棟に住んでいる男の子でした(ちょっとだけビックリした)。
……つづく
♣第21話「男の子のお友達第一号」
イノウエタカシくんのおにぎりに見とれたにしあには、彼に話しかけました。
「シャケ、美味しい?」
「!?……う……うん……」
「海苔、すげ~ねぇ。ちょいとヒモを付けたらアメリカの漫画に出てくるダイナマイトみたいだ!」
「!?……え!?……う……うん……」
「ウインナー、美味しい?」当時、ウインナーすら食わなかったへたれ児童だったにしあに。
「!?……う……うん……」
何故か顔が真っ赤になっていくイノウエタカシくん。
「そっか~。んじゃ、オレも今度食ってみようかな(^^)」
「!?……う……うん……」
この時、もしや私が彼の弁当を狙っていると思われているんじゃないか? と感じて、なんとなく心外だったにしあにだったのでした。
なんせ当時の私はラーメン屋さんで注文できる唯一のメニューであるラーメンのチャーシューを避ける程の偏食坊主。漫画「ハリスの旋風」の石田国松の様に他人の弁当を奪うほどの〝食欲〟というか、そんな発想すらなかったんだもんね。
ともあれその日から私とイノウエタカシくん(通称・イノちゃん)は友達になったのでした。
クラスのどの女の子よりおとなしくて極端に口数が少ない男の子……。
私にとって初めての同性の友達でした。
……つづく
♣第22話「自閉症気味の親分」
同級生のイノウエタカシくんは、いわゆる自閉症の男の子。という認識で接していました(今時はそうは言わないかも知れない)。
学校ではほとんど「……う……うん……」しか話せず、ちょっと突っ込んだり先生に話しかけられたりすると顔が真っ赤になって下を向いてしまうシャイな奴。
でも、一旦家に帰って20棟のテリトリーに足を踏み入れると、よくしゃべる明るい男児に戻るへんてこりんな気質の持ち主。
……うう、こいつ、面白い……。
俄然興味が出てきたにしあには、ちょいちょい二つ隣の階段の五階に住んでいたイノちゃん家に遊びに行きました。
学校では徹底的に卑屈に見えるイノちゃんですが、家にいる時は大いばりの親分気質でした。
「今日はかどや(近所の駄菓子屋)行って、あんず(ペタンコの袋に入った、当時人気だった10円の甘酸っぱい駄菓子)食ってからロクムシ(ポールを使った当時の子どもの遊び)やろ~ぜ!」
「んじゃ、何人か集めないといけないねぇ」
「お~よ! あいつとあいつとあいつ、呼んどいて」
……恥ずかしがって決して自分では呼びに行かない〝自閉症気味の親分〟に、私はなぜか好感を持っていました。
大病をして長期の入院生活を始めて本を沢山読むようになって……〝内弁慶〟という言葉を知ったのは、それから三年後のことでした。
……つづく
♣第23話「内弁慶という生き物」
学校では誰ともひとことも、もちろん私にも口を利かない。
けれど、放課後〝上飯田団地20棟〟の敷地に足を踏み入れた途端に饒舌になるイノちゃんと私は仲良しでした。
「……類い希なる個性の持ち主だな……クラスでは「お願いだからボクに話しかけないで! んもう、真っ赤になっちゃう!!」なんつった空気をズムズムと溢れさせているのに、帰ってきた途端になぜか親分みたいな顔をして「おう、かどや(近所の駄菓子屋)に行こうぜぇ!」なんつって威張っていやがる……かどやまでの道々、クラスメイトにバッタリ会ったらオイラの後に隠れて下向いてるクセに……フツーの男の子って、こうなん? いやいやいや。オイラの親父はどこでだって威張ってるぞ……ん~……なんにしろ、面白い……」
それまで女の子の友達しかいなかったにしあには、とても面白い生き物を見つけたような気持ちになったのでした。
そう言えば、隣町の下飯田に引っ越してきたおばあちゃん家のベル(犬)も、牝だったっけなぁ……優しい気質の雑種犬のベルとは大の仲良しでした。
犬のベルよりずっと不可思議なイノちゃんという生き物は、あっくん(にしあにの幼呼称)の親分役兼観察対象兼唯一の親友。の様な存在だったのでした。
……でもなんで、彼は私とは普通に話せたんだろう……そればかりは未だに謎です。
……つづく
♣第24話「一年生になった~ら♪ 友達100人……出来ねぇよ!」
イノちゃんと私は身長は同じくらい(朝礼で並ぶ時、真ん中よりやや後)。けれど、二年生になるまでずっと20㎏あるかないかだった、母曰く〝洗濯板〟……肋がそのまま見て取れる程ヒョロヒョロ(生まれて初めてクラスメイトにつけられたアダナは〝ガイコツ〟……なので、この頃社会的問題だった〝肥満児〟にこっそり憧れていた)だった私と違ってがっちりしていた本人の母親が言うには〝自閉症〟のイノちゃん。
なのになぜか自分ことを〝親分〟だと思っているらしいイノちゃん……もしかしたら「もーれつア太郎」の影響か?……ところが自分のことを〝子分〟だとは微塵も思っていないにしあに(誰がデコッ八だよ! おりゃ、どっちかっつ~と「キャワイコちゃ~ん♪」が大好きなニャロメだ!!)。
でも、お互いをどう思っているかということは一切口に出さずにええ具合に牽制し合いながら、バランスよく仲良くしている小学一年生の男の子。
私以外の同い年の男子とは真っ赤になって口がきけない上、女の子は赤ちゃんをも怖がる(個人の感想です)イノちゃん曰く「子分達」である年下の男の子(つまりは幼稚園の男児達)との交流を通じて、徐々にいろんなタイプのニンゲンを面白がり始めた夏休み前の小学一年生の〝あっくん〟。
面白いけど、子どもなりにふとしたときに醸し出す〝狂気〟の様なものをうっすらと感じ取ってていたため、いつ地雷を踏むかも解らないからちょっと怖いな……でもど~かすっとそれはそれで面白いぞ……などと思いながら小一ライフを過ごしていたやせっぽちのにしあに。
同時に、でもやっぱりなんじゃかんじゃ言ってやっぱ女の子の方が優しいしアタマ良いし可愛いから、好きだな。とも思ったのでした……あ、おりゃやっぱニャロメだ(笑)。
……つづく
♣第25話「初めてのモンキースパナ」
〝第19話・小学一年生編8〟のつづき……。
自転車を手に入れたにしあに。三日間、補助輪付きで20棟の敷地内を夢中になって乗り回しました。
ンガ~~~~~~~ガガガガ~ッ! ガロガロガロガロ~~!! ンガガガガッゲコッ!!! うるせ~っ!!!!
恐らく生まれて初めて〝不機嫌〟という概念を感じたにしあに。
「そういや……隣の21棟の……名前なんつったかな……な奴が片輪の補助輪で乗ってたっけ……」ということを思い出して、走りすぎて後方に跳ね上がってきた補助輪のうち、右側の方を生まれて初めて手にしたモンキースパナで外して乗ってみました。
ンガ~~ガッ……ガッ……ガッ……ガッ……! ガロ……ガロ……ガロ……ガロ~!! ンガ……ガガッ……ゲコッ!!! うるせ~っ!!!! リズムがヘンテコリンになった分、余計にうるせ~っ!!!!
15分後、残っていた左側の補助輪も外しちゃいました。
考えてみたら補助輪が後方に跳ね上がった状態で乗れるということは、無くても転ばないということじゃん! ということに気付いたのは、補助輪なしで一度も転ばないで「んひょ~、爽快じゃ~ん!」なんつって日が暮れるまで走り続けたあとでした。
その晩、寝床で「なぜ初めから両方とも外さなかったんだ? おりゃ、バカなのか? なんて思って悔しがったり、んふ~……テレビドラマでよく見る「あ、手ぇ離さないでね~!」なんていう微笑ましい〝自転車の練習〟もやってみたかったなぁ……勝手に乗れるようになっちゃったお陰でやりそこなってしまった。
ああ、誰かに荷台を持ってもらって練習しながら何度か転んだりしてみたかったなぁ……その方がドラマチックだかんね。なんて、いろいろなことを考えるロマンチストな小学一年生だったのでした。
……つづく
[シリーズ・にしあにの少年期・小学一年生編04]
♣第26話「初めての不信感と嫉妬」
偏食が祟ってこの上なくやせっぽちで、日中オモテに出ていることが多かった所為でとても日に焼けていたため、クラスメイトの男の子達から〝ガイコツ〟とか〝くろんぼ〟というアダナを貰って……とても心外だったけど、それなりに〝小学一年生ライフ〟を楽しんでいたにしあに。
ある日、担任のアライミスズセンセイが「みなさんの持ち物に名前を書きましょう。今日はハサミねぇ♪」
と宣いました。
各自、油性のペンを使ってひらがなや漢字で思い思いの箇所に名前を書きました。
私は、「取っ手の部分だと手が触れる機会が多いから、歯の外側に書こう……西山久昭……ほえ~、簡単な漢字でよござんした(^^)」なんつって仕上げました。
アライミズズセンセイが「は~い、みなさん、書き終えましたかぁ?」と、若く美しい笑顔で問いかけたとき、児童のひとりのタジマくんが「センセ~イ!」と言って挙手しました。
「みんなが名前を書いているので、僕は何も書かないでいれば名前のないのが僕のものということになると思います。なので、僕は書きませんでした~♪」
と、ドヤ顔で発言したタジマくん。
「……こいつ、何様なんだ? そんなこたチラッとは考えたけど、ハサミなんてものは、教室の外に持ち出すことも多いし、学校の備品ということもある……名前がないものは自分のものだ。と証明することは難しいに決まってるだろ~が……この中途半端なお銚子もんが……」
と、二秒で不快になった少年にしあに。
でも、センセイの反応は違いました。
「あら、素敵! その通りですね~。皆さんも、タジマくんの発想を見習わないとね~♪」
……!? ……え? そんなんなん?
どうしても自分の考えたことが間違っているとは思えず、初めて学校の教師に対して不信感を持った瞬間だったのでした。
クラスみんなが「は~い!」っつってゴキゲンなこえで返事をしているとき、ただひとりフキゲンになったにしあに……そもそも、普段オトナの顔色を観てゴキゲンを取っていることがありありと透けて見えるお調子者のタジマくんを不愉快に思っていた所為もあるかも知れない。当時の私は、オトナもコドモも観察対象としてその機微を楽しんでいたけれど、タジマくんのように「オトナを味方につけていい気になる」という能力も発想も持ち合わせていませんでした。
もしかしたら、初めての〝嫉妬〟だったのかも知れません。
でも……「センセイは解ってない」……この感情は、後に長期入院して帰って来た時に思い知らされることになる。
ということを知るよしもない、小一の児童・にしあにさんだったのでした。
……つづく
♣第27話「なんじゃかんじゃ綺麗な女の子が好き」
補助輪の「ンガ……ガガッ……ゲコッ!!」の音が無くなって、「シャ~~~~っ!!」という快適な音を聞きながらかっ飛ばす自転車が気に入ったにしあに。
未だ自転車に乗れないでいる自閉症親分のイノちゃんはとりあえず放って置いて、隣のマミちゃんを誘ってあちこちポタリング(当時こんな言葉はなかったけど)を楽しんでいました。
行き先は主に団地内の児童公園やショッピングセンターや当時子ども達の間で〝ターザン境〟と呼んでいた崖のある森。調子に乗ると団地から飛び出して境川を越えて、藤沢市の林の中にある神社まで足を伸ばしたりしました。
お母さんがピアノ教室をやっていて、ものごころがついた頃からピアノとバレエを習っていたマミちゃんは、瓜実顔で〝由紀さおり〟にちょいと似ているスレンダーな美少女でした。
「オトナになったら、私、あっくんのお嫁さんになるの。でね~、プール付きのお家に住みたい!」なんつって、恐ろしいプレッシャーをかけてくるマミちゃん(^^;)。
細くて長い足をグルグル回して自転車を漕ぐ姿は……美しかったなぁ……イノちゃんを含むそこいら辺のクソガキ野郎どもなんてな、虫みたいなもんだよ。
おりゃやっぱ……なんつ~か……野蛮で薄汚ねぇ近所のクソガキよか、綺麗な女の子の方が好きかも……なんて、つくづく思ったりした小一のにしあにだったのでした。
……つづく
♣第28話「サニー1000が来た!」
にしあにの父親の名前は〝照久〟です。会社の同僚や近所のオジサン達は「にしさん」と、親戚一同はみんな「てるさん」と呼んでいました。
照久をひっくり返して久照。でも〝ひさてる〟ってな、なんだか語呂が悪いしヒゲを剃って子どもっぽくしたら〝久昭〟……おい、なんの思い入れも感じないぞ。ど~かすっと洒落じゃん!
……なので、長男坊のにしあにの本名は西山久昭です(どこぞの坊さんが考えてくれたらしい……坊さん、酔ってたんかねぇ…… ^^;)。
ある日、普段出張や残業や夜の付き合い等で忙しくて、滅多に子どもが起きている時間に帰ったことのないてるさんが土曜日の夕方帰ってきました。
「んふふふふ~ん。明日、車がくるぞぉ!」
っつってるゴキゲンの父は、その夜は素面でした。
「クルマって、なん? タクシー呼んだの? どこ行くん?」
と冷や奴を運びながらすっとぼけた返事をする母。
「ば~ろ~! 自家用車を買ったのだ。マイカーなんだかんねぇ!! あ、団地の〝車友会〟に入らなくっちゃいけねぇ♪」
ニコニコ恵比寿顔の父。
いつも怒ったような顔をしている父の満面の笑顔を、なんとなく不思議な生き物を観る様な気持ちになって無言で観察し始めたにしあに。
「ええええっ!?」
ビックリする母。
〝ニコニコ親父 & ビックリ母さん〟……こ~ゆ~時はお皿を落とさねば! と思ったにしあに……でも残念ながら、皿に載った冷や奴は無事ちゃぶ台に乗ったのでした。んまぁ観客がいるわけじゃないからね(笑)。
翌日届いたのは真っ赤なボディの〝サニー1000〟(多分中古)。
にしあに小一の秋、ニシヤマ家に初めて自家用車がやって来たのでした。
……つづく
[シリーズ・にしあにの少年期・小学二年生編]
♣第29話「類い希なる好き嫌い」
1971年。日清・カップヌードルが発売された年。
にしあには小学二年生になりました。
「あっくんは将来なにになりたいの?」と、両親や親戚の叔父さんさん叔母さんに訊かれたとき、「零戦のパイロット」と答えていたジャンボリーなボンクラ幼稚園児だったのが、「王貞治」と……一層ボンクラ度を増した二年生のにしあには、相変わらずの偏食児童でした。
何しろ給食の時間が大嫌い。せんキャベツってなに? コールスローですらないし……そもそもマヨネーズが大嫌いだからいいけど……。うわ、なんか油まみれのただニンジン切ったものだある……これは、料理ではない……飼育小屋のニワトリだって嫌がるんじゃないか? 家畜の餌にすらならないぞ!(ホントに口の悪いガキだ……) コッペパン……でかいよ! 同じ工場で作っている菓子パンはあんなに美味しいのに……ううう、こんな小さな甘くないジャム(パック入りのリンゴジャム……なぜ、イチゴではないのだ? ちなみにマーマレードは苦いばかりで大嫌いだった)。
あう、幼稚園時代の焼きそばパンとフルーツ牛乳が懐かしい……。
そもそも食は細いし、食べたことがないものを口にするのは死に勝る恐怖だった、今思うとよく生きていたなぁと思ってしまう二年生でした。
ついさっき(2019年11月6日)夕方のTOKYO-MXの番組で、「広島のとある小学校では、給食時間に10分間〝もぐもぐタイム〟と称して一切喋らず校内放送のクラシック音楽を聴きながらひたすら食う!」という〝自称・食育〟を実施していることを取り上げていました。
このことに対して、なんかどっかで観たことがあるよ~なそ~でもないよ~なアマゾンの断ボール箱に力強い目鼻をマッキーのマジックインキで書いたような愛嬌のあるコメンテーターの方が、「食育もなにも、こゆことをするからコミュニケーション能力が養われなくなってしまうんだよ。私はとても怒っているのです!」なんっつっていたけど、いやいやいや、平成~令和の給食はいざ知らず、アレルギーなんて言葉は知らない(クラスに1人は牛乳を飲めない輩はいた)し、食事イコールビジネスランチのお勉強。なんていう概念はさらさらない、極端に好き嫌いの多いやせっぽちの小学二年生にとって、給食の時間は「罰ゲーム……あいや、藤子不二雄の漫画に出てくる身体の大きな暴れん坊(……あんなやつ、ウチのクラス見あたらないじゃん……誰を想定しているのだ?……昭和も45年を過ぎたヨコハマ郊外の団地辺りには、欠食児童はあまりいないのだ……青っ洟を垂らしてヘラヘラしてる輩は少しいるけど、彼奴等は決して大食漢ではない)を笑顔にさせるためにある時間」と思っていたものでした。
当時の給食で食べられるものといえば、牛乳と食パン(二枚のうち一枚)とカレーシチューとソフト麺(好物だった)とクジラの竜田揚げくらい。
「残したパンは家に持って帰りなさい」というセンセイの言葉に理不尽を感じて、ランドセルの中で熟成させて青カビだらけにする……なので、機会を見つけてはマリモのようになったコッペパンをゴミ箱にそっと捨てていたにしあにだったのでした。
にしあに少年がゴミ箱に残り物のパンを捨てた時、現行犯で観られてしまった同級生のスリムな女の子Sさん……翌日の朝礼の時にしれっとわざわざ「ニシヤマ君が、昨日パンを捨てていました。いけないことだとおもいま~す♪」と鼻の穴を膨らませて得意げにばらしてくれました。
にしあにの親父曰く「かいらしくて知的で頑張ってるセンセイで良かったな」な、担任のアライミスズセンセイの顔が、デビルマンの変身シーンのように怖ろしい顔にジワジワ変化していった工程を観ながら「……これも〝グラデーション〟という表現で良いのかな……」と思ったにしあにだったのでした。
ミスズセンセイの怖い顔を見たくないので、それ以来校内でパンを捨てることは止めたにしあに。
翌日、オイラよか長身でやせっぽちで、いつもクラスの隅に座って〝け、アタシはおめ~らとはちがうんだよ!〟というオーラを振りまいていたSさんに「なんで、わざわざ手を挙げてまで発表したの? 普段、朝礼の時にしゃべったりしないくせに……」と訊いてみました(今と違って、女子には容易に話しかけられたにしあに少年)。
「だって……」
「僕が嫌いなの?」
「!……そうじゃないよ。全然そんなんじゃなくて……」
「オイラがSさんになにかしたから?」
「ちがうよ! センセイが食べ物を……」
「……うん。実は給食のパンは長後の工場で僕のお祖母ちゃんが作っているのだ……おりゃ、悪党だね……」
「え!? あ、そうじゃなくて……んも~、うるせえよ!! 悪いのはアンタだろ?」
「うん。そう。知ってる……だから、Sさんは間違っていないのだ。ただ、何故いつも黙っているSさんがわざわざ……」
「んが~~~! もううるさい!! どうせ、アンタはあたしなんか嫌いでしょ? あっち行ってよ!!!」
「え? ……なんで、嫌いになるのだ?」
「!?……あ~っ、も~!!! 私があっちに行く!!」
……質問しただけなのに、怒られてしまった……帰ったら、アライミスズセンセイは、案外怒るとオッかねぇんだぞぉ。って、報告してみようかな……で、Sさんってのがさ……ん~と、下の名前はなんつったっけ? ……これは……黙っておこう……。
今思うと、甘酸っぱいんだかただ酸っぱいんだか……な、でも、平素給食室のオバちゃんとはとても仲良しで、放課後にこっそり余った牛乳をもらって飲んで、その蓋でメンコをしていた小二の春だったのでした。
……つづく
写真:令和になった昨今、野毛辺りに行くとこ~ゆ~柔らかそうな〝鯨カツ〟が酒の肴で出てきたりしますが、当時の〝自称・鯨肉の竜田揚げ〟は、ネバネバした茶色い岩の様な肉の塊にちょろっと白ごまが振ってある、政府推奨のタンパク源でした。
噛み応えがハンパないので、夜歯を磨いたあとも繊維が歯に挟まっていたものでした。何故か大好物だったけど。
と、当時の「週間少年ジャンプ」。
♣第30話「ガリガリの偽ガキ大将」
偏食な故か(いや、今思うと極端に好き嫌い多すぎだから)、小学校に入学時の朝礼の時、真ん中より後に並んでいたけど体重は20㎏に満たなかったにしあに(身長は、朝礼の時後から数えた方が早いくらいだった)。
二年生になった時、ようやっと21㎏になりました。
……面白いくらいガリガリです。
「あっくんはあばらが浮いてるねぇ」と言う溜息まじりの母の言葉をちょいちょい聞いているうちに「肋」という漢字が書ける様になりました。
でも、クラス開催の「くろんぼ大会」で準優勝した(優勝は女子だった……あんまり嬉しそうじゃなかった)くらい色黒だったため、あまり貧弱な印象はなかった様でした。
痩せて真っ黒でシャイだけど、自分のことを好きな人はココロから愛する二年生児童(今は痩せてないけど、気質はまるっきり変わっていないなにしあに)。
相変わらず、図々しい奴や暴力的な奴が腰巾着の様な舎弟を持って威張っているクラスメイトというせまっくるしい不思議な〝社会もどき〟にはあまり好感というか興味を持てなかったけど(クラスの男子はみんな野毛山の猿みたいだ。と思っていた)、下校後は「あっくん、あそぼー♪ 今日はどこに連れてってくれるの?」っつって慕って来てくれる多くの近所の子ども達を連れて先頭に立ってあちこち遊びに行く。
という、へんてこりんな〝偽ガキ大将〟のにしあにだったのでした。
……つづく
♣第31話「ギザ10は宝物」
当時、にしあにのお小遣いは月に500円でした。
父親がわざわざ銀行で両替してきた10円玉のスティック(と言うのかど~かは知らないけど、かたまりみたいな長いの)を、テーブルのカドにぶつけて崩すのが嬉しかったなぁ……。
バラバラにして、ギザ10(昭和26年から33年発行の十円玉は側面がギザギザになっている)を除けて取っておく。という、へんてこりんな癖があった児童でした。
ギザ10が30枚になった頃、「……これ、ピカピカにしてみたいぞぉ!」と思い、一週間ママレモンの原液に浸してティッåシュで拭き取ってみたら……はたしてピッカピカになったものでした。
ピカピカの十円玉を30枚並べてうっとりする小学二年生。
その姿を母親が見たらさぞかし気味悪がったことでしょう。
「あら、この子は理系の才能があるのか知らん……いやいやいや、日中はご近所の子ども達を連れてまわって、帰ってくると落書きばかりしているあっくんが……そんなわけないわよね……ったく、まあ、なんてへんてこりんな……」なんてね(^^;)。
♣第32話「初めてのレコード」
父親のコレクションのレコードが聴き飽きてきた頃、「自分のお金で好きなレコードを買ってみたい!」という欲求がムクムクと湧いてきました。
でも、月500円のお小遣いから当時400円だったシングル盤(ドーナツ盤)を購入するのは至難の業です。近所の駄菓子屋〝かどや〟のあんず飴が10回しか買えないじゃん! ってことは、あの何とも言えない酸っぱいんだかしょっぱいんだか甘いんだかわかんないんだけど大好物である人工着色料や香味料が20種類以上添加されているあんず飴を三日に一度しか食べられないじゃ~ん! さてど~すっか……(偏食児童は変な物が好き)。
三日間熟考の末、例のギザ10に手をつけることにしました。
ピカピカの十円玉30個にふつ~の茶色い十円玉を10個。締めて400円也。あ、でも、レコード屋さんは街に行かないとないぞ! ……あ!
当時、母は小さなキューピー人形に毛糸で編んだ服を作って着させるという内職をしていました。納品先は上飯田団地からバスに乗って行く戸塚にありました。
「ねぇねぇ、付いてってもいい?」照れながら甘えるにしあに。
「!? どしたの? 変な子だねぇ……」なんだかまんざらでもなさそうな母。
なんてことがあった日。戸塚駅前の旭町商店街にあったレコード屋さんで、生まれて初めて自分のお金でレコードを買ったにしあにだったのでした。
手に入れたのは当時一番好きだった曲。ダーク・ダックスの「花のメルヘン」。
……つづく
♣第33話「忙しい二年生」
この頃のにしあには実に多忙でした。
自転車に乗って個人的にあちこち出かけたり、まだ自転車に乗れない子ども達を徒歩で引っ張りまわして(当時は境川の縁をどんどん上ったり下ったり時々大きい下水道に入って行ったりするのがマイブームだった)夕方遅くに帰ってきて、各児童の母親から「ま~たあっくんが変なところに連れてったでしょ~! んも~、うちの子が臭いんだよね!!」なんていう苦情を受けた母に「あ~、ホントだ。ほこりっぽいったら……え、なに? ドブ臭いじゃん?!!」なんつって箒で全身をはたかれたり、流行のテレビはやっぱり全部観ておかなくっちゃならなかったり……。
子ども達の間で流行っていた見逃せない番組は「仮面ライダー」「帰ってきたウルトラマン」「刑事くん」「宇宙猿人ゴリ」「ミラーマン」「シルバー仮面」「おれは男だ!」「スター誕生」……「8時だョ!全員集合」は別格として、アニメは「カばトット」「アンデルセン物語」「新オバケのQ太郎」「天才バカボン」「ふしぎなメルモ」「さるとびエッちゃん」「アパッチ野球軍」「国松さまのお通りだい」「ゲゲゲの鬼太郎」「スカイヤーズ5」「原始少年リュウ」……「ルパン三世」はまだ観ている子どもは少なかった……。
学校から帰ると、日が暮れるまで外で遊んで、帰ったあとはご飯を食べながら人気のテレビを観て、時間が余ったときは母とトランプや花札(所謂バカッ花)で遊んで、気絶するように寝る。
勉強してるヒマなんかありゃしない(^^)。
……つづく
♣第34話「昭和の子どもはテレビが好き」
同じ曜日の同じ時間帯だった「ミラーマン」と「シルバー仮面」は、クラスで人気を二分していました。私は断然ミラーマン派。シルバー仮面は口が人だったからね(後にシルバー仮面ジャイアントなんつって、ミラーマンのように巨大化させているということを知ったとき、なんとなく「卑怯者!」と感じたものでした)。
同じように人気を二分していたのが天知真理と小柳ルミ子でした。私は断然天知真理派。小柳ルミ子は親戚のおばさんにしか見えなかったからね。
隣のマミちゃんは、「ドレミまりちゃん」という自転車を買ってもらって喜んでたなぁ。
こういうものを綴っていると、いろんな事を思い出すんだねぇ(^^)。
そう言えば、「すし屋のケンちゃん」もこの頃だったなぁ。んも~、前作の「ケンちゃんトコちゃん」から好きだった妹役のトコちゃんが可愛くて可愛くて……妹が欲しいな。と思ったものでした。
ぞろぞろと、ど~でもいい記憶が蘇るにしあにだったのでした。
……つづく
[シリーズ・にしあにの少年期]
♣第35話「ヒトが好きなガリガリ大将」
さて、二年半ぶりに綴るので、文体や記憶違いの〝事故〟が起こるかも知れませんが、気にしないでいきましょう。
アメリカのハイジャックやニクソンショックみたいなオトナの話題を知るよしもない子ども達の興味は「ドリフターズ」とテレビの漫画(数年後中学生になってから「アニメーション」という言葉を知る)でした。
カトちゃんが好きで、「ミヨちゃん」を歌って、「ホントにホントにホントにホントにゴクロ~さん♪」というニュアンスを愛していた少年にしあに。
上飯田団地に住む20棟の子ども達を従えて、あっちこっちに探検に行く毎日。
偏食で、二年生になっても21㎏ちょいにしかなれなかったにしあには、さしずめ「なんちゃて大将」……。
弱っちいからケンカなんかしたことはないけど、何故か子ども達が着いてきてくれたので、毎日面白がって仲間と一緒にいろんなところを探検に行きました。
「あたりまえ」だった、女の子ばかりじゃなくて、しらばっくれて男の子も混ざっていました。
……つづく
[シリーズ・にしあにの少年期]
♣第36話「オトナも子どもも好きだった」
「ウチの子が未だ帰ってこないのよ!」
「んも~、お腹空かせてるだろうに!」
「また、あっくん(私)がどっかに連れ出してるんでしょう?」
「まったくも~! いつもいつも……まったくも~!!」
まだ弟の竜二が生まれる前。
20棟のお母さん達から毎日のように責められるにしあにの母。
「うん。そ~だねぇ。あっくんがみんなを冒険に連れてってるんだよ。ごめんなさいねぇ。もうじき帰ってくると思うから……」
日が暮れると自分が怖いので、陽が落ちる前にみんなを連れて帰ってくるにしあに。
「ま~た、こんなに汚れて~! 両手を拡げて立ちなさい!」
T の字に立つにしあに。
パンパンパンパンパ~ン!
箒で背中をしこたまぶっ叩いて汚れを取る母(ホントにキレイになるのか?)。
オイラが連れて行った子ども達の母親達と仲間達が観ている。
「あとで、アタマへこませときますので、ご勘弁を~♪」
「あははははは~。まっったく~……あっくんはいつもウチの子を可愛がってくれてるんだから、気にしなさんな~。ほれほれ、みんなお腹空いたでしょう?」
……許してくれる……毎日毎日……今時で言うと〝ルーティーン〟ってのかいな (*´ω`*)。
やせっぽちだけど健康だったこの頃、不器用なクセにお絵描きは好きだった頃。
学校の威張っている奴と給食は大嫌いだったけど、近所の子ども達やお母さん達が大好きだった小二時代だったのでした。
……つづく