にしあにモジモジ日記 2019.0513(月)

I ♥ YOKOHAMA。

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先日参加した神工第69期産業デザイン科のクラス会のインパクトのお陰で、ちょいとヨコハマが好きになり始めました。

21歳の時、劇団かに座の先輩女優にこっぴどく振られたにしあに。

「ん~~~……なんか、沢山歩いてバス乗って電車乗ってカイシャに行くのがカッタリィな……どこに行ってもいろんな想い出がありすぎるし……ヨコハマの街はしばらく観たくねぇな……そっか……東京で暮らせばいいのだ!」

クヨクヨんにゃんにゃネモネモとしばらく考え込みながら暮らしていたっけ……。

で、当時、井の頭線沿線の富士見ヶ丘駅の踏切の警告音がよく聞こえる辺りの下手屋さんの2階にある風呂なしアパートに下宿していたとってもフィーリングが合ってコンビでシゴトをこなすことが多かった(実は終電がなくなるとちょいちょい転がり込んでいた)新入社員のタデコに相談をしたら、

「んじゃ、一緒にアパートを借りて住めばいいのだ」って……。

「ほえ~。そりゃいいアイデアだ。んで、ど~したらいいのだ?」

「んっとね、まずは……」

歳は一緒だけど、社会人としては2年後輩のタデコのお陰で、生まれて初めて不動産屋さんに行って〝敷金〟〝礼金〟〝保証人〟という言葉を覚えたにしあにだったのでした。

その頃は、猫を飼うという発想はなかったな……(ФωФ)

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とにかく横浜を離れたかったので(違うね。タデコと一緒にいたかったんだよ)しばらくは〝テーラー柴崎〟の2階に居候をして、毎晩銭湯に通って、帰りにラーメン屋さんに寄って帰ってくる。給料日には瓶ビールを一本頼んで乾杯する。という日々を過ごしました。

近所には神田川が流れてたな……なんかすげぇな……。

にしあには「ガロ」と「広告批評」。タデコは「月刊宝島」と「月刊カドカワ」を愛読していたその頃、ふたりとも好きだった伝説のサブカルチャー雑誌「ビックリハウス」の休刊が決まって、最終号を駅前の小さな本屋さんで買ってきた頃、東横線沿線の都立大学駅から徒歩15分の柿の木坂にある、大家さんが敷地内に住んでいる二間のアパート〝富士見荘〟を借りて、東京在住のデザイナー〝にしあに & タデコ〟の生活が始まったのでした。

……つづ……かない(笑)

ともあれ、劇団かに座のポスターの打合せや公演日にしか行きたがらなった程ヨコハマを嫌って東京に来たにしあにが、最近ヨコハマの魅力を見直しています。

おもしれぇじゃん、ヨコハマ。

思えば去年の夏頃、中学時代の同級生で異性ながらお互い「親友」と認めているオノイクコに案内されて馬車道から県庁辺りまでの名所や博物館等々に連れて行ってもらった事が発端になったのかも知れない……足痛くなった……。

その後、高校のクラスメイトのオー内くんやキンちゃんと、話しには聴いていただけの野毛の街で呑んだり、イワセ先輩やキヨちゃんと、高校生の頃ボトルカードを何枚も持っていた(あ、級友の多くが)ヨコハマの西口で呑んだり、ひとりでぶらっと子どもの頃からの馴染みだった山下公園(そういや高二の頃、生まれて初めてのデートがここだったな~。なんて想い出にひたっていた中年・にしあに)を歩いたりしているうちに……ヨコハマが好きになってきました。

東口から桜木町の風景は、随分変わってしまった……なんかすげぇな……。

そもそも、ずっと東横線や池上線や京急沿線に住んでいるのは、実家があるヨコハマとの縁を繋いでおきたかったからなのでしょう。

タデコが生きていたとき、散歩が好きで、東京23区を全て歩いたものでした。

これからは、ヨコハマを愛してみようかな。と。

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[写真]こないだのクラス会でのスナップ。

唯一〝センセイ〟とカタカナ表記しない、にしあにの好きな大中臣先生。

 

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