にしあにモジモジ日記 2020.0923(水)

ひとりじゃないってのは、ステキなのだ。

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同級生のヘソくんと一緒に〝立川志らく師匠〟を聴きに行ってからの四連休。

わしわしと某小学校の施設案内をこさえたり、某団体の冊子の原稿整理をしたり、「ああ、コンタツだよりを作りたいなぁ……」と、二時間くらい考え込んだり、マンションのエントランス周りの花を植え替えたり(にしあには今月一杯まで植栽係)、印刷物のホチキス留めの作業と二人で作った絵本のダミー本をこしらえるためにNさんを召喚したり、忙しすぎておかしくなりかけているらしいキンちゃん家に行って晩ご飯をこさえたりしていたら、残り一日になってしまいました。

愛猫エヴァは、今日も一日三個のペリペリご飯を平らげて……とても元気で押し入れにいます(ФωФ)

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昨日は残り一日のシルバーウィーク。

iMacの前のバランスボールに腰掛けて、ここ三日間に逢ったヒト達との会話から生まれた物語を書き始めました。

この「モジモジ日記」は、エッセイのつもりで書いているので基本的にノンフィクションです。

でも、小3の頃に上飯田ショッピングセンターの文房具屋さんで初めて付けペンと製図用インクとケント紙を手に入れて、小6の時、貯めていたお年玉で烏口を購入してすげ~コ~フンした過去を持つマンガ少年だったにしあには、物語を創作することが癖になっているのでした。

「いつかは漫画家になりたい」と思って、沢山のキャラクターや物語を考えていた少年時代。小学校では〝漫画クラブ〟中学校では〝美術部〟高校では〝ジュニアコミック同好会(漫研)〟(高校では同時にバンドをやったり劇団に入ったり)に所属して、絵と物語を創作することに専念していたものでした。

でも、小4の時に心臓の弁膜症を患っていたため、「おりゃ、漫画家のような自由業じゃなくて、サラリーマンにならねぇと生きられないんじゃないかいな?」と、自分の才能と現実を斜め上から眺めて、デザイン事務所に就職したのでした。

デザイナーになってかれこれ38年くらい……「もっともっと活躍の場を作って上げたかった」と思う、イラストレーターだった嫁に死なれた事以外は後悔も反省もしていないけど、彼女に死なれてから「んふ~。好き勝手な物を創作したい!」と強く思うようになりました。

幸い長年デザイナーをしていたお陰で、オイラの周りにはいろんなジャンルの信頼できる仲間が何人か存在しています。

「一緒にステキな創作物をこさえようぜぇ」

なんてことを思いながら、50歳代を過ごしているにしあに。

……というわけで、にしあにはシゴトをしながらいつも物語を考えているのです (*´ω`*)

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[写真]こないだこさえた、にしあにさん家の文化鯖定食。

 

★アメーバ版モジモジ日記は

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