「指示待ち妖怪」は、LIFEのコントだけでいい。
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うっかりして、「笑点」を観損なってしまった日曜日。
皆さま、ゴキゲンですか~?♪ヽ(´▽`)/
私は、金曜日の夜に徹夜してそのままマンションの役員会に出席(理事長なので居眠りできない)して、隣に座っている副委員長の厳ついカラダの若いお父さんが嬉しそうに取り仕切っているのを眺めつつ、時々「だよね~♪」なんつって1時間半を乗り切って、午後早くにあったマンションの〝大規模修正委員会〟に出席(ここでは、頼り甲斐のあるベテランが沢山いるので半分寝てた)したりしたあと、部屋にjかえってiMacの前のバランスボールに腰掛けて、「そ~いや、オイラの高校時代もあんな感じだったなぁ……起きてるときと起きていなきゃいけないときがちぐはぐで……なのに、みんながいるから失敗しないし、成績は割りと良かった……」。
中二までは病弱でオタクで引っ込み思案な劣等生だったけど、ヘソくんに出逢って一緒に漫画の合作を作ったりしたあたりからは優等生っぽい生徒になったのは、周りの人たちに面白い人が多かったからなんだな。
にしあには、他者の存在がなければ今生きていなかったかも知れない。
当たり前で簡単で、ど~かすっとくだらない言葉なんだけど、「指示待ち妖怪」っぽくなってきた市井のヒト達を観ていると、なんだか不安になったのでした。
☀☀☀
多感なティーンズの時、話したりイタズラしたり酔っ払ったりする友達が沢山いた。
将来ど~すっかな~。と思っていた18~20歳の時、劇団かに座のオトナ達と一緒に一所懸命芝居づくりをして、ついでに女優さんの彼女が出来た。
就職して思いがけず忙しい(毎日出勤前の15分、新橋駅のベンチで寝ていた)けど楽しくてしょうがなかった時、クールだけど優しい先輩がいて、素敵なカメラマンやイラストレーターと知り合った。
シゴトに慣れてきてテングになりかけた時、タデコ(死んだ妻)がカイシャに入ってきて、自分には描けない絵を描くくせにすっとぼけた奴がいることを知った。
20歳代半ば、いよいよ心臓の手術をしなければ。というとき、「無事に帰ってきたら、ウチに入って制作部の部長として働いてくれないかい?」と、八丁堀の広告代理店の社長にスカウトされた。
入院する前から、〝チャンスを作りたい若手デザイナーやイラストレーター〟を集めて始めたグループ展「Ginza Illustration Collection」は、常に10人以上の参加者がいて、画廊がなくなる年までデビューして離れていく人を複数生みつつ10年間続いた。
中古マンションを購入してすぐだった35歳の時、社長が倒れて独立しなければならなくなって途方に暮れていたら、多くのクライアントが「ニシヤマさん」に引き続き付き合ってくれた(そんなんで、未だにここが事務所)。
にしあには、偉くなりたいとか大金持ちになりたいとか思ったことはありません。
分相応に生きながら、好きことや出来ることをシゴトにして(ある意味つぶしがきかない)時々好きな人に逢って一杯呑りたいだけのニンゲンです(子孫がいないからね)。
上に書ききれなかった、クリエイターのトヨダさんや印刷マイスターのヤマダさん。品川区に来たときに潤いを与えてくれた欧風厨房あんさんぶるのオカダ夫妻や常連客だったハナワ夫妻やマンション内のイゲタさん、モリさん、アベさん、スズキさんユカワさんイシハラさんニシクボさんetc.……町会のなかまであるサカモトさんナガオさんetc.の仲良しさん達……。
数え上げたらきりがない。
節目の想い出で名前を書いてみたけど、合間合間でお世話になって人達は三桁になるんじゃないかいな……「今日の東京のコロナ陽性者」世か多いのは間違いないでしょう。
って、こういう、誰も鼻にもかけない小市民が思っている感想や生き方や哲学を全否定して、「右向け、右っ!(右じゃなくてもいいんだけどね)」という報道に唯々諾々と従って苦しんで、「お国のため」と洗脳しつつある令和時代。
昭和のノスタルジーなのかぁ……。お、エヴァ、どう思う?
「ニャアァ~~~ン♪(ヒトは、要らないって、この星はいってるよ)」
「ええええ~!? んじゃオレは?」
「ゴチャゴチャいわねぇで、ご飯よこせ!」
「らじゃ……」
……やぁねぇ (^◇^;)
[写真]ジョッキ持って「乾杯!」ってすれば、少しだけリセットできる。
おりゃ、そういう日本人が好きです(ФωФ)
★アメーバ版モジモジ日記は
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