にしあにモジモジ日記 2021.1021(木)

大勢に見せたい、仲間の個性。

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8月決算の一広社の事務シゴト。

苦手なンニャンニャ作業がようやっと落ち着きました。

ああ、恐ろしい10月……。

デザイナー兼イラストレーター兼経理担当だったタデコが生きていたときは「細かいこたぁカミさんに任せて、おりゃ、本業に集中していればいいのだ!」と思ってわしゃわしゃ働いていたものでしたが、ここ7年間は節々に苦手な事務シゴトをしなければなりません。カイシャなので、やるけど……。

ああ、ああ、あああ。あわわわわ……税理士のイシカワセンセイ遅くなってごめんなさい。

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18歳で 神工・産業デザイン科を卒業して、卒業式の翌日から銀座数寄屋橋にある㈱サン・プランニングというデザイン会社で働きはじめて、歯医者さんの機会を作っているメーカーとその関係の販促物や、銀座に支社があった北海道新聞社の広告や、実業之日本社やその枝だった出版社の本の装幀や、社長の古巣であったサッポロビールやライオンの販促物や、日本能率協会の販促物や、銀座7丁目等にあった会員制倶楽部のアイテム類や、八重洲の呉服橋ら辺にある酒問屋のPR誌である「コンタツだより」やその関係の全ての販促部通をデザインしていた20歳代。

26歳の時に八丁堀にあった広告代理店「福王(後の一広社)」にスカウトされて、瓶座中の画廊の展覧会の販促物や日経BP社の各雑誌の広告デザイン……オイラと同年だった営業のデグチ君と一緒に販路を拡げながら、オフィスクリーニング(ここは営業者のボディデザインもやらかした)や、フラワーアレンジメント業界や、輸入雑貨屋やジュエリー業界や、紀伊國屋書店や、日本トラック協会等の販促物や、省エネセンターのポスターや、三井造船のエンジン等や、昭和飛行機工業の販促物等や、なんだかよくわかんないけど何かスゲ~素材を作っているカイシャ(数十社)や……あとなんだっけ? んも~、数え切れない業界のクライアントのシゴトをさせてもらって(現・淡路島・出口商店のデグチ君、ありがとう)、2000年に独立したにしあに。

ビンボー人の一広社のにしあににも夢があります。

タデコと一緒に夢を持った同士を集って銀座松坂屋の隣のビルにあった画廊で23歳の時(多分)からはじめて10年間やらかした「Ginza Illustration Collection」というイラストレーションのグループ展(定員10~12名・延べ30人くらいかな)の仲間と一緒になにがしかの作品を世に出すこと。

当時20歳だったメンバーは、そりゃあ浮き世の現実の中生きてきて、それぞれ思う様にいかなかったでしょう……っつ~か、ほとんどクリエイターのままでは居られなくなってしまった……らしい。

阿呆の様に愛猫・エヴァのゴキゲンを取ってご飯をあげている毎日ですが、オイラだって決して一人前のクリエイターになれたわけじゃないけれど、18歳から今までデザイナーじゃなかったことがない。

結婚、子育て、なんじゃもんにゃ等々、仕方なくと言うか自身の思う〝要〟をやり遂げた。とか、都合でかつてやりたかったことを数十年我慢せざるを得なかったけどホントは元に戻りたい。というかつての仲間と作品を作りたい物だな……と、ずっと思っているにしあにだったのでした。

[写真]こないだ送ってくれた「コンタツだより」の扉絵や挿絵を担当してもらっている仲間のNさんのデッサン。

なんつ~か、ホッコリする、にしあにには決して描けない味があるのです(ФωФ)

#成田安妃子

#出口雅也

 

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