作品は人と共に生き続ける。
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この週末は、始まる前からきっと行こうと思っていた「別冊マーガレット」~「コーラス」の看板漫画家である「くらもちふさこ展」を観に行ったり(「コロナの規則」を意識して初めて弥生美術館をネット予約した)、横浜西口の斎場までバレンタインデーの日に亡くなった、劇団かに座創立者・タナベ晴通氏の奥様で、初代看板女優だったみちゑさん(現主宰のババさんは「おかあさん」と呼んでいた)のお通夜に出席したりしました。
コロナ禍のため、劇団かに座からの出席は現主宰のババさんとカナヤさんと私の三人のみ。
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晴通氏(現主宰のババさんは「おやじさん」と呼んでいた)が現役の演出家だった頃は、年に二回の演目が決まる度にお互いの夫婦四人で横浜西口にあった〝あいちや〟でランチを摂りながらカミさんはカミさん同士できゃっきゃと談笑して、オッさん同士は「今度の演目の肝はね……」なんてことをしかめっ面で話し合って(打合せらしい打合せは長くて4~5分程度だったけど)、「おおう、ともあれ食って呑もう!」なんつっていたっけ。そして、会食後は、喫茶店に行って四人でいろんな劇団や芝居、そしてかに座を辞めていった人(例えば今は映画監督になっているウスイさんとか)の話題等で大いに盛り上がるのが恒例でした。
戒名は晴暁院妙道道信女……天辺に旦那さんの文字が入っているのを見つけて、少し泣きました。
世間話の中で、70年以上続いていたかに座の兄弟分の様な〝劇団葡萄座〟が昨年一杯で看板を降ろしたのはコロナ騒動に気を使ったためと知りました。なんてことでしょう。横浜のアマチュア劇団でつかこうへい作品の「熱海殺人事件」や「蒲田行進曲」を面白く堂々と公演できる唯一の劇団(にしあに評)でした。
2014年の春。なかよし四人のうち、まずタデコが亡くなって、夫婦で泣きながら通夜に駆けつけてくれた田辺夫妻のうち田辺のとっつぁんが亡くなって、そして奥さんもいなくなってしまいました。
スゲ~寒くて、横浜駅まで黒いコートの襟を立てての帰り道。
「……ん~……ぼっちにしあに……劇団かに座の第一期が終わって、いよいよ第二期に入ったんだねぇ……亡くなった人もなくなった劇団も二度と帰ってはこない。でもね、芝居も映画もデザインも、人の記憶(ど~かすっと記録)の中で行き続けます。そしてそれらは、必ず作った人がいるんです。でも、死んじまったら新しい作品は生まれない……ちっ!……人が死にたくないと思うのは、もしかしたら、残った人が哀しくて寂しくてへこむ事を想像してしまうからなのかも知れない……」
なんてことをつらつらと考えていたら、なんだかとても哀しくて悔しくておっかない表情になっていた(平素いつでもヘラヘラしてるのに……ひとりでよかった)にしあにだったのでした。
帰って来たら、愛猫エヴァが「にゃ~にゃ~にゃ~(ご飯がカラだぞ!)」と言って来たのは、いつものことだ(ФωФ)
[写真]好きな美術館でのスナップ。息子の裕貢さんと一緒に祭壇の写真を撮ったけど……載せない。
#くらもちふさこ
#弥生美術館
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#田邉晴通
#劇団葡萄座
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渡辺幸枝です (木曜日, 24 2月 2022 20:48)
こんばんは、ご無沙汰しています。
初めてお邪魔したブログが 悲しい事があった後のようで 御愁傷様です。
お気を落とさずにお過ごしください。
ご住所以外の連絡先を失ってしまって此方へお邪魔してみました。お体ご自愛下さいませ。
にしあに (金曜日, 25 2月 2022 18:48)
ありがとう (*´ω`*)