一広社の年賀状

2000年に創業した一広社の年賀状コレクションです。

2003年から今年まで……眺めているとたったこれだけの歴史なのに、色々あったんだなぁ。と、15秒くらい思いふけってしまいます。

あ~、初期の頃のデジタル処理とか……うわ、なんかへたくそだなぁ……で、今は上手いかっつ~と……ん~、あんまりかわんかも知れないねぇ。

でも、毎年毎年「今年の目標」はたてていたんだねぇ。本人にしか判らないけど。

 2003〜2005年はデジタルになりきれないアナログ的作品だな……嫌いじゃないけど……。

2006年はなぜかノンコピー。

2007年は撮影:実弟の西山竜二。

2008年の鯛の水引は蓼沼多美江作。

2010年、ウーちゃん登場。

2013年の年賀状はちょっとうけました。

年賀状に歴史有り。ですねぇ……。

※2001年と2002年の年賀状はアナログだったため残念ながらデータが残っていません。

西山久昭の喪中ハガキ

西山久昭個人として、家内が残した絵を使ってデザインして120人あまりの方にお送りしました。家内の絵(アレンジはきっと私にしかできない)を多くの方に観てもらうことを密かにライフワークにしていたにしあにさん。あの世で見てくんない。との思いを込めて公開します。

法人「一広社」としての年賀状はこれから作成いたしますが、きっと、我が社のトップイラストレーター・蓼沼多美江の絵を採用することでしょう(おめでとう的な言葉は入れません)。

TADEKOプロフィール(ハガキのオモテ面に入れました)

西山多美江(にしやま・たみえ)…1964年1月14日東京都大田区田園調布生まれ(旧姓&PN:蓼沼)。幼少期を神奈川県川崎市で過ごした後、健康的な環境を求めて群馬県みどり市に転出。1982年、群馬県立桐生女子高等学校を卒業後、短大に進学するも〝肌に合わない〟という理由であっという間に自主退学。アルバイトで学資を稼いで翌1983年、上京。東京デザイナー学院に入学。普通の人たちとはひと味違うクラスメイト(彼女曰く〝すんごい個性的な人たちの吹きだまりだったんだよ〟)との出会いによってデザイナーになることを決意。はじめの一年間は寮生活だったが、〝キャベツの味噌汁がしょっぱい〟という理由で自主退寮。井の頭線・富士見ヶ丘駅近くにあった「テーラー柴崎」の二階で下宿生活をおくる。1985年、東京デザイナー学院卒業後、銀座六丁目にあった㈱サン・プランニングにグラフィックデザイナーとして入社。入社二ヶ月後あたりに、「おりゃ、家が遠くて今から帰ると電車がなくなっちゃってるから、泊めてくんない?」というワガママな上司(年齢は一緒)の言葉を優しく受け入れて以来、西山久昭との交際が始まる。……以来、んもう、書ききれないほど色々な事を乗り越えながら、ずっとふたり(&猫延べ5匹)で日常生活を続ける。同棲生活10年目にようやっと入籍。それから19年経った春、乳癌にて逝去。享年50歳。

……このあとは、一広社の年賀状を主に掲載していきます。もう、喪中ハガキは作りたくありません。